私の初ケア体験発表

「私の末期がん患者に対する初ケア体験発表」
ご近所の犬友達が「女房が末期癌で余命2カ月」と泣きながら電話してきたのが、平成8年、彼女が52歳の時でした。
彼はオートレースの花形選手でしたが、レース中の大事故で脊椎を損傷し、以後車椅子生活を余儀なくされました。事故当時、2人の幼子をかかえ、1人は実家に預け、乳飲み子を育てながら懸命にご主人を支えてこられた妻の癌宣告でありました。

彼女は入院中未認可の強い抗癌剤を飲まされあまりの苦しさから、「他の薬に変えていただけませんか?」とお願いした処、「医者に指示するのか?それなら出ていけ」と強制退院させられました。
何とか彼女を救えないかと色々調べたところ日本在宅ホスピス協会の存在を知り、ボランティアのYさんから助言をいただき、試行錯誤した後、W看護師を紹介されました。Wさんは知人であるH医師と共に24時間対応で最期まで良く看て下さいました。家族・スタッフ一丸となり懸命に彼女を支え、ご主人と毎月旅行ができるまでになりました。
しかし、最後に黄疸が出て、家族でホテルを取り最後の晩餐をして、1年半の良い思い出を作り亡くなりました。

数年後、今度は彼自身が大腸癌・肺癌でN病院に入院中である、と長男からSOSがあり飛んで行った処、危篤状態でした。先生からは「他の患者の迷惑になるので個室に移って欲しい」と言われ、院内の立派な1泊6万円のホスピスを紹介され、「助けてくれ」とすがられました。
自宅で死にたいという彼の強い希望を叶えるため、医者と看護師を伴い寝台車を用意して、自宅に連れ帰りました。

自宅に戻った途端、彼は眼鏡をかけPCの前に座り株を売却して、「これでホットした」と言い、長男が改装した車いすから横滑りできる風呂に入り、「おなかがすいた」と言い出し、鰻丼を半分ほど平らげ、周りの皆を驚かせました。その後自分で車を運転して千葉の実家に行ったりして半年程元気にしていましたが、末期癌には勝てませんでした。

死期を悟った彼はビデオ撮影を私に依頼し、思い出を残しました。数日後亡くなりましたが、苦しむことなく穏やかな最後でした。

映像はご家族の許可をいただいています。