私の体当たり人生

ご挨拶

私は今年の9月27日で73歳になります。走馬灯のように来し方を振り返れば、色々なことがありましたが、アッという間に高齢者になってしまいました。

5年ほど前から当時91歳の実母の世話と、5年前から当時73歳の主人が16段ある階段を頭から落下して脳挫傷によるクモ膜下出血になり救急車で運ばれ、以後、W介護中の身です。

65歳まで元気で仕事と嫁と主婦を掛け持ちしてきましたので、老後はゆっくり人生を楽しもうと考えていたのに、想定外の出来事で私の老後人生、残された時間は、介護に割く時間が多くなりました。

実母は今年96歳、アルツハイマーですが、2つ目の施設に移り今は穏やかに過ごしています。

主人は脳挫傷を契機に不整脈による心房細動、排尿障害、重度変形性膝関節症等々、病気の問屋状態です。高次脳機能障害による発作や癲癇がいつ起こるかわからないので、脳神経外科の訪問の先生を見つけ訪問診療を受けています。

単独では歩行困難なので、訪問リハビリも週に2回、後は外部の介護サービス週2回、を利用してリハビリを受けています。

歯もボロボロで目下治療中です。何せ医者嫌いで何でも手遅れにしてきたツケが回ってきたのです。

もし発作が起きたらと考え警察病院の先生とも連携を取りました。車いすの可能性も大きかったので、介護職の資格も取得し、ここまで考えうる準備をすべてしたので、後は運を天に任せるしかありませんでした。

しかし今では奇跡的に主人が杖を突いてではありますが、歩けるようになり、階段も降りられるようになりました。但し転倒したら大変なので、必ず私が見守りのため付いていかなければなりませんが・・・

今思い返すと、救急車で集中治療室に入れられ、何で自分がこのようなところに入っているか理解できず「帰る」と言って暴れたため、ナースステーションのそばに、椅子に固定されて24時間放置されたこともあった。また、2階の病室にいるのに、「川が流れているだろう」とか「12月なのに3月」とか言っていたため、退院時には病院側から「精神病院」か「施設」に入れるように言われました。

このままでは社会復帰など考えられず、大きいので私1人ではどうすることもできないだろうとの判断からでしたが、私はリハビリ施設を探し、3ヶ月半、リハビリ生活をしてもらいました。

4+5は?とか、今何日?とか、ボール投げなどさせられている姿を見るのは本当に私も辛かったのですが・・・

それでも私の顔もわかっていたし、少しづつ記憶も蘇りはじめたので、落合の自宅に引き取り、脳外科の主治医をつけ、外部のリハビリを週に2回、自宅での針治療とリハビリを週に2回続けた結果、今では仕事復帰は無理ですが、何とか自分で入浴したりできるところまで来ました。

あの病院の診断・通院していた医師の診断は一体何だったのだろうか?と思います。

今の医師は5人目ですが、探せばよい医師にも巡り合うことができます。「求めよ、さらば与えられん」です。

最近人生はポーカーの様なものとしみじみ思います。配られたカードが良くても悪くても1回きりの人生、与えられた環境で精いっぱい生きるしかないと腹を括りました。長いようで短い人生、90歳まで生きると仮定しても、365日×90+23=32,873日、今の自分の年齢を考えるとあと何日残されているのか?

有意義に過ごさなければ勿体ないと思います。

私自身も残された時間を気分転換と自己実現のために、寸暇を惜しんで、ダンス・囲碁・東京歴史巡り、読書・等々、忙しく過ごしています。(有)リンク・ステーションの相談業務もできる範囲で活動しています。1日が掃除・洗濯・3度の食事・買い物その他病院やリハビリの付き添い等でつぶれてしまうので、少しの時間を利用して、自分自身のための時間を確保しています。

なかなか友人とお会いする機会も少なくなったので、ブログで近況報告をしようと思い始めました。皆さん、お暇がありましたら、時々このブログを開いてお互いに連絡が取れると嬉しく思います。

 

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